自転車考
2020-09-21


友人にセカンドバイクを譲る前に、整備をして試運転していたとき、サイコンをはずしたのだが、これが意外に新鮮だった。普段、サイコンに心を奪われていて、走りの楽しさをどこかに忘れていたのではないかと反省させられた。

当然のことだがサイコンは昔はなかった。私が学生時代、機械式速度計が自転車雑誌の広告として載っていたのを見たような気がする。いまや、格安でGPS付きのサイコンさえも売られていて、世の中はサイコンが付いていて当たり前、付いていないのはトーシロと思われてしまう。

本当だろうか。いま世間では、いかにタイムを縮めるか、それが自転車乗りの最大目標であると誰もが思っていて疑わない。私もそう思ってきた。しかし何か大切なことを忘れてしまっていなかったか。

最近、「退歩のススメ」(晶文社)という本を再読していて、考えさせられた。副題が「失われた身体観を取り戻す」とある。書かれていることは、極端なことを言えば、すべて今までの常識をひっくりかえすようなもので「止めることで観えるからだ」という項さえある。

自転車はなんのためにあるのだろうか。ただ速く走るのではなく、忘れかけていた走る楽しさを取り戻してみたい。そう思うようになった。それはどんな自転車か。いろいろ考えているところ。さて、どうなるか。
[Roadbike]

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